ウエルネス荒井の健活と終活

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空海

空海(=弘法大師)は、宝亀(ほうき)5年(西暦774年)に、讃岐の国(香川県)に誕生しました。
幼名を真魚(まお)といいましたが、秀才の誉れ高く、周囲の人々からは、貴物(とうともの)と呼ばれていました。


奈良の都の大学に入学しますが、空海も悩めるお年頃。秀才ゆえにいろいろ考えるところがあったのかも知れません。
大学を辞めて仏の教えを目指すようになります。


19歳のある日、高知県室戸岬にある洞窟(御蔵洞・みくろどう)で修行していたとき、口に明星が飛び込んできて悟りをひらきます。
その間、かれが目にしていたものは、海と空だけであったことから以降、「空海」と名乗ることにしたそうです。


804年「三教指帰(さんごうしいき)」を著し、翌805年5月、空海31才の時、第16次遣唐使の留学僧として空海は唐に渡ります。
2年後、最低20年間留学という約束を破って帰国。そのため、3年ほど待ってやっと京に入ることを許されました。
空海は【 高雄山寺(神護寺)】に居を定め、14年間ここに住みました。
多くの僧侶が空海に教えを請いにやって来ました。それを潅頂(かんじょう)といいますが、潅頂を受けた僧侶たちの名前を記した書き物、「潅頂暦名(かんじょうれきみょう)」が今も神護寺に残されています。


この頃より天台宗の祖「最澄」と交流を始めますが、それ以前に、彼とは運命的なニアミスがありました。
実は彼も第16次遣唐使の留学僧だったのです。たまたま船が別々だったので、唐に入ってからも顔を合わせることはなく、神護寺で初めて出会うことになりました。
しかし後に経典の貸し借りをめぐって対立、また、最澄の後継者である泰範を空海が自分の弟子にしてしまったことから、2人は決別し、交流は途絶えてしまったそうです。


神護寺を訪れたら、ぜひ、境内の地蔵院で「かわらけ投げ」をして下さい。
谷に向かって小さな皿(「かわらけ」という)を投げるもので、厄よけになるそうです。
眼下に大渓谷が広がり、爽快な気持ちになります。ストレス発散にもよさそうですね。


神護寺の守護神として創建された八幡宮、【 平岡八幡宮 】が同じ高雄にあります。
室町時代に焼失しましたが、足利義満により再建。1826年に修復され、現在は京都市有形文化財に指定されています。
ここでは、極彩色で描かれた「花の天井」をぜひご覧ください。毎年、春と秋に一般公開されています。
また、春は桜の前に、境内にある樹齢200年を越す平岡八幡ヤブ椿や、白玉椿伝説のある社務所の樹齢160年の一水椿など、多くの種類の椿が鑑賞できます。


【 西明寺 】は、西暦832年、空海の弟子・智泉により神護寺の別院として創建されました。
境内は紅葉の名所三尾(さんび)の一つとして知られ、三尾の中で一番早くから紅葉を見ることができるお寺さんです。
ご本尊である高さ51cmの小さな釈迦如来像は、運慶の作といわれています。


高雄といえば秋の紅葉が有名ですが、夏も「高雄の納涼床」や清滝川の蛍など、避暑地として楽しめる場所です。
平岡八幡宮 ~ 西明寺 ~ 神護寺と回ると、見学時間を20分ずつとして、2時間ほどで散策できます。
【 東寺(教王護国寺)】は、真言宗の総本山です。
西暦823年、空海は嵯峨天皇より東寺を下賜(かし)され、勅命により「教王護国寺」と名づけます。
816年に賜った高野山を真言宗根本道場とし、この東寺を鎮護国家の中心のお寺とされました。


東寺には、あの最澄に宛てた手紙『風信帖』が残されています。「風信雲書・・」と始まるのでそう呼ばれているそうです。


東寺といえば、弘法市が有名ですね。
毎月21日、弘法大師の命日に行われます。「弘法さん」といわれ、多くの露店が立ち並びます。
骨董・古着・がらくたなどが売られていますが、最近は、自作の絵ハガキや雑貨などを販売する、若い人のお店も増えてきました。
毎月第一日曜日には、骨董市(がらくた市)も開催されます。